桶狭間は経済戦争だった
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武田知弘さんの「桶狭間は経済戦争だった」をよみました。
私は、戦国武将ではとりわけ「超合理主義者」の織田信長が好きですが、この本では、信長の合理主義の徹底ぶりいかんなく紹介されています。
信長は明らかにかなり早い段階から、全国統一を目指していたようです。
信長に全国統一の可能性を確信させたのが、信長の「経済力」。
あまり知られていないことですが、信長の領国の尾張には「良港」がありました。
港からの「関税収入」は、はっきりした資料は残っていませんが30万石に匹敵したようです。
信長は小さな領国の領主から大国駿河の今川氏を倒して勢力を拡大していった、が通説ですが、
実際両者の経済力に大差はなかったようです。
信長がすごいのは、その経済力を戦を勝利するために徹底的に使ったことです。
当時は、どこの大名も部下は領国内の小領主の集まりであり軍隊は農民でした。
ところが信長は直属の「常備軍」を組織して関税で徴収したお金で給料を支払っていました。
農民の寄せ集めより、平時時でも常に訓練を行っている軍隊が強いのは当たり前です。
戦いに挑む士気も違うでしょう。
「桶狭間」ではたまたま信長が攻撃を仕掛けた場所に敵の大将の今川義元がいたために「奇襲」という攻撃の形になりました。
しかし実は義元がそこにいなくとも信長は万全の態勢で戦いに勝利できたであろうということです。
戦に勝つためには、いかに短時間のうちに「戦場となる場所」に大量の戦力を集中できるかによって決せられます。
動きが遅い数万人の分散された兵隊よりも、訓練された機動力を持つ塊となった精鋭の数千人の兵隊のほうが強いのです。
信長は決して「冒険」をしていたわけではないのです。
戦に勝つには「お金」が必要である。
そのお金を稼ぐために信長はありとあらゆる手段を講じています。
経済を活発にすることが税金の増収につながるとわかれば「楽市楽座」もつくります。
武田信玄は、信長最大のライバルとされていますが、おそらく信長は全く問題にしていなかったはずです。
信玄の領地の信濃、甲斐は農業生産力が低く、交通の要衝でもなく、信玄は亡くなるまで「貧乏」と戦わざるを得なかったからです。
武田軍は、信長の鉄砲部隊に負けましたが、信玄は鉄砲の威力には早くから気づいていた武将です。
残念ながら鉄砲を大量に購入あるいは製造するだけの経済力がなかったのです。
信長を見ていると、現代のわれわれの社会にも通じるものがあります。
圧倒的に強い会社には必ずそれなりの「理由」があります。
盤石な基盤があってこそ、快進撃が可能になります。
無理をして背伸びしている「きらびやかな」会社はいつかほころびが出てしまいます。
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この記事の執筆者
梅川公認会計士・税理士事務所 所長 梅川貢一郎
東京都千代田区を中心に活動。得分野は会社設立を含めた起業支援、創業融資、および創業期の企業向け経理・税務・会計サービス。